幼い頃、「森のくまさんの替え歌」で無量空処を喰らった話
皆さんどうもドヒ松です
突然ですが皆さん、呪術廻戦の五条悟の「無量空処」をご存知でしょうか?
ピクシブ百科事典によると
宇宙空間のような光景が広がる領域。五条は無下限の内側と表現している。
相手に無限回の知覚と伝達を強制する術式効果「無量空処」が必中効果として付与されている(領域展開と同名)。
知覚→伝達→行動のサイクルのうちの「知覚と伝達」が無限に終わらないため、相手は膨大な情報量を流し込まれつつも思考を行動に移せず何も出来なくなる。さらに与えられる情報量により脳にダメージを負う。
五条自身が触れている相手に対しては必中効果が発動しない。
術式効果「無量空処」は赫や蒼と異なり、領域内でのみ発動する術式効果である。逆に赫や蒼を必中効果として領域に付与できるかどうかは不明。
まあようするに「とてつもない量の情報を流し込まれ思考が止まり何もできなくなる」ということです
もちろんフィクションの話ですが、僕はこれに近い経験をしたことがあります。
今回はそれについて話していこうと思います。
「森のくまさんの替え歌」と聞いて「ああ、あれのことね」とすぐにピンと来る人は少なくないでしょう。そう、あれです。
あるひんけつ
もりのなかんちょう
くまさんにんにく
であったんこぶ
はなさくもりのみちんぽこ
くまさんにであった
知らない人からしたらなんだこれは・・・(困惑)になるでしょう。
それっぽく言えば、森のくまさんはフレーズごとに1.5泊の休符があります。
そこにこの赤文字の単語をぶち込み、合いの手っぽくするのです。
なんでか知りませんがこれは全国的にほとんどの小学生が通る洗礼のような替え歌らしく、流行る理由として「有名な童謡に下ネタをぶち込むという背徳感」や「みんなで合唱すると盛り上がる原曲のクオリティの高さ」などが挙げられますが、一番の理由はどう考えても
唐突に喰らう「ちんぽこ」の面白さ
これに尽きるでしょう
「ちんぽこ」・・・口に出してみてくださいよ。
こんな美しい日本語が他にありますか?
この必要最低限の文字数で爆笑と爽快感を与える破壊力。大人ですら笑ってしまうのに、子供が笑わないわけがない。
地域によっては「はなさくもりのみちんぽこどっこいしょ」まで言うところもあるそうです。
冷静に考えてください。
ちんぽこどっこいしょwwww
そりゃ小学生でこんな替え歌を知ってしまったらハマるに決まっているでしょう。
例に漏れず僕の小学校でも爆流行りし、授業中にも歌い始めるもんですから担任から「授業中に汚い歌を歌ったらダメ」という、5歳児でも「いや、そりゃそうだろ(冷静)」と言うくらいのカスルールが作られたのはいい思い出です(郷愁)
小学三年生の夏。この替え歌が流行り始めてからおおよそ半年くらい経ったころでしょうか。流石に暇さえあれば狂ったようにちんぽこちんぽこ歌うほどの大流行ではなくなりましたが、誰かが思い出したように口ずさめばその場にいる全員で大合唱が始まるくらいにはまだ流行っていました。
今思えば、もはや「森のくまさんの替え歌」というコンテンツは当時の僕らの「当たり前にあるもの」の1つとして存在していたといっても過言ではないかもしれません。
そんなくまさんのちんぽこに脳を支配されていた僕は父に連れられ、隣県の父の友人の家に遊びに行きました。
その人の息子のAくん(当時小4)とは仲が良く、父と友人が最近のこととか仕事の愚痴とか話してる横で僕とAくんでポケモンしたりマリオしたりして遊んでいる構図で、当然僕とAくんも最近あったことや流行っていることを報告し合います。
この日の記憶はほぼ全て覚えています。
以下、原文ママです
Aくん「イナズマイレブンめっちゃおもろいねん」
僕「あの歌好き!!・・・立ち上がリーヨ!!」
Aくん「ええよな」
僕「歌と言えばさ・・・森のくまさんをさ、変な感じにする(替え歌という言葉を知らない、可愛いね)やつ、知ってる??」
Aくん「え!?(本気でびっくりした顔)○○(僕)のとこも歌ってんの?」
僕「せやで!」
小耳に会話を聞いていた父「一緒に歌ってみいや」
あるひんけつ
もりのなかんちょう
くまさんにんにく
であったんこぶ
ここまでは順調でした
隣県の一つ上の人間と自分の小学校で流行っている替え歌を寸分違わない歌詞で歌っている。めちゃくちゃドーパミンが出てたと思います。
そしていつもと同じように、クライマックスである「はなさくもりのみちんぽこ」と歌おうとした瞬間、事件は起こりました。
この瞬間、僕は無量空処を喰らいました。
なにが起こったのか分からない。
目の前で行われたことの情報量が多すぎて、処理しきれません。
「今なんて?」
「え?」
「いや、はなさくもりのところ」
「もっこりちんちんぶらぶらソーセージ、え?ちゃうん?」
情報を必死で噛み砕き、ようやく無量空処から解放され、何が起こったのか理解した僕は
爆笑しました
断言しますが、後にも先にも僕の人生においてこれを超える爆笑は多分無いでしょう。
「ちんぽこ」で十分笑うことが出来た自分に、「もっこりちんちんぶらぶらソーセージ」が突然襲い掛かってきたのですから無理はありません。
僕・・・いや、僕含む僕の小学校の人間たちは井の中の蛙ならぬ、井の中のちんぽこだった。
最後の休符に「ちんぽこ」を置くだけで満足していた僕らとは違い、Aくんの小学校は「もり」と「もっこり」で最初の母音を揃え、さらに「ちんちんぶらぶら」というちんぽこ要素も忘れず、さらにさらに最後に「ソーセージ」の最後のジで本来の歌詞の「みち」と同じ母音で着地するという次元の違う努力をしてきたのです。
僕はまるで初めて眼鏡をかけたときのように、「笑い」という世界が一気に開けた感じがして、凄いゾクゾクしたのを覚えています。
僕の人生は、この日以前とこの日以後で章が変わる気さえするのです。
聴いていた父も同じく笑っていました。なんなら父の友人も笑っていました。
間違いなくAくんはこの瞬間、この場にいた誰よりも面白い存在でした。
大げさに聞こえるかもしれないですが、本気で僕はもっこりちんちんぶらぶらソーセージに「笑いを追求することの素晴らしさ」を学んだと思っています。
皆さんも覚えてないかもしれませんが笑いに限らず様々な要素においてこういう「価値観が底上げされる経験」はしてきてると思います。
たまたま僕の笑いに関するその経験がもっこりちんちんぶらぶらソーセージだったという話でした。
・なんで急にこんな記事?
会社の喫煙所でおっさんたちとこの話題で盛り上がったからです。
世代を超えて愛される替え歌なんですね
おわり