ノックの音が
トン、トン
とあるアパートの一室に住む佳代子は、夜の2時、物音がして目が覚めた。
なんだろうと佳代子は音の出る方向に耳を澄ます。
トン、トン
音の出処は明らかに玄関だった。佳代子は寝起きの脳味噌をフル回転し考える。
ドアをノックされている…?
佳代子はようやく音の意味をなんとなく理解したが、今が夜の2時であること、そもそもこの家にはインターホンがあるからノックの必要がないことを思い出し、あっという間に言いようのない恐怖感に襲われた。
トン、トン
ノックは止まない。
トン、トン
いよいよ佳代子は恐ろしくなり布団に潜り込んだ。
トン、トン
それでもノックは止まない。
トン、トン
佳代子は恐る恐る布団から身を出し、考える。フーっと大きなため息を吐く。この音が鳴り続ける限り、眠れそうになかった。
トン、トン
放置して鳴り止むのを待とうか?だが、このままにしておいていいのか?
この音の「答え」が分からないまま、これから暮らしていけるのか?
トン、トン
恐怖より好奇心が勝った。外を覗いてみることにした。
トン、トン
リビングからおもむろにカッターナイフを取り出し、ポケットにしまう。心臓の鼓動を痛いくらいに響かせながら、忍び足で玄関に近づく。
「ど、どなたですか…?」
トン、トン
返事はない。少しイラっとしたが、もう関係ない。
もしかしてただの風か?と思う。しかし本当に風なら窓がガタガタと音を立てたり、ヒューヒューと別の音も鳴っているはずだ。
これは誰かによる人工的なノックだ。覚悟するしかない。
キーロックを外し、鍵を開ける。ドアノブに手を掛ける。握り、回す。そんな行動を起こすたびに今まで意識したこともないような金属音が無機質に響き渡る。
佳代子はそのたびに背筋に電流が走ったような感覚に襲われたが、深呼吸をして、そっとドアを開けようとした、そのときだった。
ドンドンドンドンドンドンドンドン!!!
ノックの音は突然、打って変わってけたたましいものに変わった。
どうして???そもそも目的は何なの?
たまらず佳代子はドアノブから手を離し、さっきのように布団の中に潜り込む。
ノックの音は鳴り止まない。機械的な一定のリズムを刻みながら、ドアを破壊する勢いで延々と鳴り響いている。
佳代子は必死で自分のこれまでの行いを振り返る。
誰かの恨みを買う真似はしていなかっただろうか?
一昨日、邪魔なペットボトルをポイ捨てをしてしまった。しかしそれは誰にも見られなかったし、誰の目にも触れないところにそっと捨てたから大丈夫なはずだ。
小学校の頃、加奈子ちゃんをブスとかデブとか言っていじめていた。
もう時効だろう、許してくれよ。加奈子ちゃんは中学生になって引っ越したし、彼女にこんな力強いノックが出来るとは到底思えない。
思いつく限りのこれまでの悪行を並べたが、やはりそれらがこれに繋がるとは思えない。犯人が誰かも、その目的も一切分からなかった。
・・・
佳代子はなにか思いついた。
「これ」を言ってほしいのか?
もし犯人が待っているのが「これ」なら、あまりにもバカバカしいことだ。
しかしこの突然の乱暴なノックが意味していることは、「いるのかいないのかはっきりしろ」ということなのではないか?
佳代子は思い切って、大きな声で叫んだ。
「入ってます!!」
ノックの音はそこでピタリと止んだ。
佳代子は何が起こったのか分からなかったが、理解しようとする前に尋常ではない眠気がやってきた。
明日は仕事だ。
佳代子は泥のように眠った。
朝起きて佳代子は絶望した。
あのノックの音が夢ではないと実感したからだ。ポケットに入っていたカッターナイフがそれを物語っていた。
もしかして幻聴だったのか?深夜2時に他人のドアを尋常ではない力でノックするなど、普通に考えればあり得ないことだ。
怖くないから、そのほうがいいな…と佳代子は思う。
色々考えながら、佳代子は会社に向かった。
業務にはあまり集中出来なかった。先輩に「なんかあったの?」と聞かれたが、「最近寝付けなくて…」と適当に答えておいた。本当のことなど言えるわけがない。
仕事が終わり、疲れ果てた佳代子は何も考えず家路につく。
部屋はアパートの2階。階段を登り、ドアの前へ。
鍵を挿そうとバッグを漁ったところで、佳代子はとんでもない過ちに気がついた。
戸締まりをしてなかった。
ノックの音のことばかり考えるあまり忘れていたようだ。鍵は恐らく玄関に置いたままだ。
やってしまったな…と佳代子はドアを開けようとするが、せっかくだからと軽く拳を握り、ドアの前にかざし、トン、トンとドアをノックした。
ふふっと小さく笑う。そういえばノックなんてここ10年はしてなかったな。もうどの家もインターホンだから。
下らないことはやめよう。昨晩のことは幻聴で、私は疲れているのだ。
ドアノブを握ろうとしたそのときだった。
「入ってます」
低い男の声がした。
鍵は、閉まっていた。
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