くろいヘドロ

オタクです

じゃんけん

紙原勉には悩みがある。

 

じゃんけんに全くもって勝てないことだ。

 

は?と思った人がほとんどだろう。

じゃんけんなど所詮勝つか負けるか、50%の運試し。全くもって勝てないなどそんな馬鹿な話があるか!

 

しかし、これが本当に勝てない。

一番辛かったのは小学生時代。暇つぶしにやるような軽いじゃんけんはもちろん、給食のおかわり、掃除場所の割り当て、休み時間何して遊ぶか、そんなここぞという場面のじゃんけんでも勝った試しがない。「今度こそは勝てるかもしれない」という淡い期待が、何度も叩き潰された。

じゃんけんと遭遇しそうになるたびに、紙原は必死で代替案を考えた。だが、じゃんけん以上に分かりやすく、簡略的で実力を伴わない手段を考案することは不可能だった。そして結局じゃんけんをして、負ける。それの繰り返し。

 

やがて皆「紙原はじゃんけんが弱い」ということに気づき始め、「紙原とじゃんけんして最初に負けたやつが今後給食のおかわり禁止になる」という不名誉な運試しも流行ったくらいだ。恥ずかしい限りだった。一回くらい勝って、一矢報いたかった。

「紙原と同じクラスになれば嫌な役目を一切やらなくて済む」という噂が出回っていると知った時は本当に屈辱だったし、一度真剣に先生に相談したが、半笑いでこう言われた。

「勝つ!と心から思ったら勝てるかもよ」

言う通りにしてみた。もちろん全部負けたし、虚しいだけなのですぐやめた。

 

「そんなに負け続けたら、勝った時嬉しすぎて失神するんじゃないの」

母親に笑いながら言われた。確かにそうかもしれない。「じゃんけんに勝つ」という至極シンプルなことを、紙原は本当に失神するほど待ち望んでいるのだ。

 

 

 

 

時は経ち高校2年生になった今でも、この変な才能?は相変わらず健在していた。

一学期の最終日、つまり大掃除の日である今日も元気に最悪の掃除場所、旧校舎トイレに割り当てられている。臭い、暗い、汚いで誰もやりたがらない。結局いつになっても、じゃんけんというのは絶大な威力を発揮する。

紙原は別に運がないという訳ではない。おみくじで大吉を引いたこともあるし、すごろくで一位になったこともある。ただ、じゃんけんでだけ絶対に勝てないのだ。

なんでこうなるんだろうなあ・・・と紙原はじめじめした初夏の暑さに苛立ちながらたわしで便器を擦る。

 

1学期最後の日にすることが一人でトイレ掃除とは・・・。

この旧校舎トイレが圧倒的に不人気なのは、環境の最悪さもそうだが、一人旧校舎に隔離されることの疎外感もある。

今頃皆は教室とか体育館で楽しくわいわいしてるんだろうな・・・そう思うとさらに苛立ちは増す。

一心不乱に憎しみを、怒りを、苦しみを、たわしに乗せて擦った。

何がじゃんけんだ、何が大掃除だ。くそ。許せない、許せない。

 

「かーみはーらくん」

 

「ええ!!!!????」

 

突如後ろから女子の声がして、驚きのあまり危うく足元の水がたっぷり入ったバケツを倒すところだった。

 

「驚きすぎ、よっぽど集中してたんだ」

 

「いや、ここ男子トイレだぞ・・・」

 

「どうせ紙原君しかいないんだからよくない?そんな気にすることないって。」

 

この女子は千代川波佐美。紙原がこの旧校舎男子トイレを押し付けられたのと同じく、じゃんけんに負けて旧校舎女子トイレを押し付けられたらしい。

御覧の通り自由奔放な性格で、それでいてこの世の全てを知っているような大人びた雰囲気も併せ持つ、不思議な人である。

 

千代川は急に話しかけたのはごめんね、と謝り、使う?と余ってる漂白剤を紙原に差し出してきた。

 

壁にもたれる姿勢を取り、千代川が続けた。

「女子トイレ全然汚れてなくてさ。掃除する意味ある?ってなっちゃった。」

 

「羨ましい。旧校舎が不良男子の溜まり場になってるせいで男子トイレは行儀の悪い汚れが目立ちまくってるよ。」

 

漂白剤はありがたく頂くことにした。

便器を擦る作業を再開する。頑固な汚れがあるのだ。

 

「あはは、壊せばいいのにねこんなところ。一回も来ることなく卒業する人もいそう。」

 

「楽器準備室とか科学準備室とか痒いところに手が届く部屋がいっぱいあるからそうもいかないだろうな。・・・クソ、取れねえ。」

 

「それ、汚れじゃなくて傷じゃない?」

 

「・・・へ?」

 

紙原は戦慄した。彼がたわしで擦っていたものは、便器に付いた汚れではなく、何かが便器に触れたときに付いた、ただの傷だった。

 

普通に見れば子供でも気づけるレベルで、どう見てもこれは傷だ。あまり喋ったことがない女子に話しかけられ、緊張していて冷静な判断が出来なかった、以外に説明が出来ない。

 

「ははは、顔真っ赤だよ紙原君。嘘でしょ?これを汚れだと思ってたの?眼鏡かけたほうがいいよ、ははは」

 

千代川は煽るように大笑いしている。紙原は余りの恥ずかしさにしばらく無言になっていた。

 

ごめん、怒った?と千代川は笑うのを必死で堪えながら謝った。だがクラス内で喜怒哀楽が激しいと評判の彼女はそのあとすぐに、また涙が出るほどの大笑いを始めた。

 

「失敗なんてだれでもするし、もういいだろ、そんなに面白くないって。」

 

千代川はようやくほとぼりが冷めたのか、ごめん、ごめんねと涙を拭いながら笑いを止めた。

 

「そうだね、失敗なんて誰でもあるもんだ。もうこの話は辞めよう、うん。」

 

絶対仲間に言いふらすだろうな・・・と紙原は思った。後悔と羞恥が脳の中で渦巻いているのが分かる。

 

「そんなことより、次は床掃除だ。」

話題を強引に変えようと、はきはきした声で紙原は言った。

 

「・・・ところで紙原君。」

 

「・・・なんだ?」

 

紙原が床に撒くために漂白剤の栓を開けていると、先ほどまでとは打って変わった真剣な表情で千代川が話しかけてきた。紙原は思わず身構える。

 

「紙原君って、もしかしてじゃんけん弱い?」

 

突然の質問に紙原は面食らった。もうそろそろ高校でも、「紙原はじゃんけんが弱い」と噂が立つほどじゃんけんをしてきたか。これからも同じようなことを言われ続けるんだろうな・・・と思うと眩暈がする。

 

「どうしてそう思うんだ?」

 

「いや、実際今回も紙原君じゃんけんで負けてこんなところにいるし。前のグループワーク一緒になった時も、じゃんけんで負けて紙原君の案通らなかったじゃん。他にも・・・」

 

「分かったもういい。思い出しただけでイライラする。」

 

「ははは、なんか必死。もしかして本当に『弱い』の?」

 

「そういう訳じゃ・・・」

 

紙原は取り繕うのに必死だった。

ずっと言われっ放しなのも悔しいので、言い返してみる。

 

「そういう千代川こそ、じゃんけん弱いんじゃないか?俺と同じでじゃんけんで負けてここの掃除をしてる訳だし、この前図書委員に千代川と岩崎が立候補した時、じゃんけんで勝った岩崎に決まっただろ?・・・ああ、なんかいろいろ思い出してきたぞ。よく考えたら千代川って、結構損な役回りばっかりしてるな。」

 

「おっと、痛いところを突かれたね。」

千代川は脇腹を抑えるジェスチャーをして、さらに続けた。

 

 

 

 

 

「だって私、じゃんけんで勝ったことないからね。」

 

 

 

 

 

紙原は最初、千代川がなんと言ったのか分からなかった。

 

 

 

 

だって私、じゃんけんで勝ったことないからね。

 

 

 

 

 

 

「・・・本当か?」

 

「そう、一回も勝ったことないよ」

 

「一回も?」

 

「一回も。」

 

紙原はどう答えればいいのか分からなかった。

これは偶然なのか、必然なのか。

紙原は声を振り絞って、考え得る最大の安全策の言葉を吐いた。

 

「そうなのか。なるほどな」

 

「結構あっさり信じるんだ。これまで何人にも話したけど皆嘘でしょって信じてくれなかった。結構真剣に話してるんだよ?こう見えて。」

 

少し嬉しそうにしていた千代川だったがそのあとすぐ嫌な顔になった。

 

「もしかしてバカにしてる?それなら、ちょっと軽蔑しちゃうな。」

 

「まさか、信じるよ。本当に、神に誓って。」

 

紙原は慣れない手つきで十字架を空に描いた。

千代川はなにそれ、と笑ったが、紙原が信じたことを信じてくれたようだ。

 

紙原は迷った。自分も同じ呪いに掛かっていることを打ち明けるか、黙っているか。

 

だが考えるより先に、口は無意識に言葉を吐いていた。

「俺も勝ったことがないんだ、じゃんけん」

 

紙原の唐突の告白に、千代川は言葉を失った。

「・・・へ??」

 

「だから、お前と同じ。俺もじゃんけんが弱い。勝ったことが無い。」

 

「本当に言ってるの?」

 

「こんなメリットの無い嘘は付かない。」

 

千代川は面食らった様子で初めはあたふたしていたが、徐々に紙原の言葉を信じてきたのか顔に笑みが浮かび始めた。

心なしか、2人の距離が一気に縮まった気がした。

 

「私以外にもいたんだ・・・お互い苦労したね」

千代川は冷静そうに話したが、体は喜びのあまり震え、顔は笑みを抑えようと必死なのがよくわかる。

 

「本当に苦労した。一番大変だったのは小学生だな。給食のプリンは二つ以上食べたことが無いし、学級委員も6年連続だ。あのときはじゃんけんが全てだったから。」

 

「分かるなあ。もしかして、運試しに利用されたりした?」

 

「された!!!千代川もそうか。あれは本当に屈辱だった。」

 

「ね。千代川にじゃんけん負けたら最悪の日になるぞ!なんて、結局全部負けちゃったから、スリルがないって飽きられたんだけど。」

 

その後も「じゃんけんで勝ったことが無い人あるある」という、二人しか共有できない話題を楽しんでいたが、徐々に二人はこの奇跡を真剣に考え始めた。

 

「にしても、そんなことある?人生でじゃんけんで勝ったことないってだけでも凄いのに、それがこの世に二人いて、しかも同じ高校の同じクラスになったんだよ?」

 

「確かに。よくよく考えると、気味が悪いまである。何か・・・オカルト的なものがあるとしても、納得してしまうな。」

 

「やめてよ。ホラーは嫌い。」

 

「俺たちの存在がもはやホラーだろ。」

 

「ははは。確かに。・・・ところでさ・・・」

 

千代川が何か言いたげにしているのが分かる。紙原はそれをみて全てを察し、笑いながら言った。

 

「分かるぞ。千代川が何を言いたいのか。」

 

千代川は驚いた顔を見せる。

「嘘。なんだと思う?」

 

「俺たち2人がじゃんけんすればどうなるのか知りたい、だろ?俺も気になってたんだ。」

 

「図星ね。流石同じ運命を背負ってきただけあるわ。」

 

2人は改めて向かい合い、じゃんけんの準備を始めた。

 

「ぜっっっっっったいに勝ちたい!言っとくけど容赦しないからね。」

千代川の声と手は震えていた。

 

「もちろん俺も容赦はしない。勝ちたいからな。」

紙原の額から汗が流れているのは、暑さのせいだけではない。

 

2人の間の空気が張り詰める。人類の長い歴史において、これほど重要な意味を持つじゃんけんは、今後絶対にあり得ないだろう。

 

紙原は深呼吸し、よし!!と叫ぶ。

千代川は右手に祈りを込めるように「神様仏様・・・」と呟いていた。

 

「どっちが掛け声を言う?」

 

紙原が訊いた。

 

「せっかくの機会だし。二人で言おうよ。」

 

「りょーかい」

 

5秒ほどの沈黙が流れた。心臓の鼓動が痛いくらい聞こえてくるのが分かった。

やがて呼吸を合わせ「せーの」と小さく呟く。

 

「さーいしょは」

 

「グー!!」

 

「じゃーんけーん」

 

紙原は直感で出す手を選ぶ。その間0.1秒もなかったが、彼にとって何よりも長い時間のように感じた。

 

千代川は始まる前から何を出すかを決めていた。仮に紙原が出すタイミングが少し遅れても、変えないつもりだった。

 

 

 

「ポン!!!!」

 

 

 

時間が、空気の流れが、呼吸が、全身の血液が、止まってしまったように感じた。

 

紙原はチョキを出した。直感に従い、完全にランダムで出した。

恐怖のあまり紙原は千代川のほうを見ることが出来なかった。もし千代川がグーを出していたら?自分はじゃんけん世界最弱になってしまうのか?

 

しかし見ないといけない。見て、事実を受け入れなくてはならない。

 

恐る恐る彼は視線を上げ、千代川のほうを見た。

 

 

 

 

千代川も、チョキを出していた。

 

「ふふ」

千代川は笑う。

 

「ははは」

紙原からも笑みがこぼれた。

 

「あーいこーで」

緊張感が一気に解け、掛け声は集中力の無い不揃いなものになる。

 

「ポン!」

 

紙原も千代川も、またチョキを出していた。

 

「またチョキかよ。変えてくると思ったのにな」

 

「こっちの台詞。いつになったらチョキを諦めるの?」

 

「よし、そこまで言うなら次はグーを出す。」

楽しくて仕方がないような声で拳を握りしめ、紙原が言う。

 

「あっそう。じゃあパーを出すよ。」

千代川は大きく広げた掌を突き出し、答える。

 

「信じるのか?」

 

「紙原君はここで嘘をついてチョキを出すなんてことしない。そうでしょ?」

 

「素直過ぎると人生損するぜ」

 

「ふふふ。」

千代川が思わず噴き出した。

 

「どうした?」

そう言う紙原の声も、半笑いで覇気が無かった。

 

「私今、人生で一番楽しい。じゃんけんってこんなに楽しいんだって、驚いてる」

 

「ああ、俺も今本当に楽しい。世間の皆さんは一刻も早く改めて気づくべきだな。この遊びの楽しさに。」

 

「言えてる。・・・出す手は決まった?私はもう決まってるよ。とっておきの一手が。」

 

「今ちょうど決まったところだ。お見舞いしてやるぜ。」

 

 

2人は「ここで終わらせる」と言わんばかりの、大きな声で叫んだ。

 

「あーいこーで」

 

 

 

じゃんけんとは簡単で、分かりやすく、老若男女問わず誰でも楽しめることから、世界中から愛されている運試しのことである。

 

しかし、多くの人が忘れがちな、もう一つの人気の理由がある。

 

 

 

「ポン!!」

 

 

 

何回でも、やり直せるところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わり

 

寝ましょう

 

 

最初はじゃんけんに絶対勝てない男とじゃんけんに絶対負けない女の話にする予定でしたが、展開が思いつかなかったのでこうなりました。

 

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